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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)161号 判決 1984年8月30日

原告

塚崎健二郎

ほか一名

被告

日本火災海上保険株式会社

主文

一  被告は、原告両名に対し、それぞれ金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五八年二月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)(主位的請求) 主文第一項同旨

(二)(予備的請求) 被告は、原告両名に対し、それぞれ金一五〇万円及びこれに対する昭和五九年四月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  主位的請求原因

1  原告塚崎健二郎(以下、原告健二郎)は、昭和五七年四月三日、損害保険業を業とする被告との間で、左記の自家用自動車保険契約(以下、本件保険契約という)を締結し、被告に対し、保険料八万四〇九〇円を支払つた。

保険期間 昭和五七年四月三日から同五八年四月三日まで

被保険自動車 自家用普通乗用車(神戸五八ふ七七八)

死亡の場合の保険金額

自損事故条項に基づく保険金一四〇〇万円

搭乗者傷害条項に基づく保険金一〇〇〇万円

2  訴外塚崎博文(以下、博文という)は、昭和五七年一一月二〇日午前一時ころ、被保険自動車を運転して県道別府院内線を十文字高原方面から別府市街地へ向つて進行中、別府市湯山二組湯山観光グランドパークから約二〇〇メートル天間よりの地点の左カーブにおいて、道路右側のコンクリート壁に激突する事故を起こし、頭部外傷等の傷害により即死した。

3(一)  原告健二郎は、被保険自動車の所有者である。

(二)  博文は、同原告の許諾を得て、被保険自動車を自己のために運行の用に供していた。

(三)  原告健二郎は、博文の父であり、原告塚崎吉野は、博文の母である。

4  よつて、原告両名は、博文の死亡に伴つて本件保険契約に基づいて同人が支払を受けるべき自損事故条項に基づく保険金一四〇〇万円及び搭乗者傷害条項に基づく保険金一〇〇〇万円合計二四〇〇万円を法定相続分である二分の一の割合で相続したから、被告に対し、それぞれ金一二〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五八年二月一八日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  主位的請求原因に対する認否

請求原因1、2の事実は認める。

同3の事実のうち、(一)(三)は認める。(二)は知らない。

三  抗弁

1  酒酔い運転による免責

(一) 本件保険契約において、原告健二郎と被告は、被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときにその本人について生じた傷害については保険金を支払わない旨合意した。

(二) 博文は、酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態で本件自動車を運転し、本件事故を起こして死亡した。

すなわち、

(1) 博文の身体から流出した血液中のアルコール濃度は、一ミリリツトル中〇・八四ミリグラムであつた。

(2) 博文は、日頃あまり酒を飲まず、酒には弱い方であつた。

(3) 本件事故現場付近の道路状況は、曲折が多く、最高速度が時速三〇キロメートルに制限されており、夜間照明はなく暗い場所であり、かつ博文の進行方向から見て前方は下り勾配で左にカーブしている。

(4) 博文は、本件事故現場に残されたスリツプ痕(左後輪で二五・三メートル)や車体の損壊状況から時速一〇〇キロメートルを越えると推定される速度で、本件事故現場付近を進行していた。

(5) 博文は、本件事故現場をこれまでに何度も通行しており、道路状況を熟知していた。

(6) 博文は、昭和五六年七月一五日普通運転免許証を取得して以来毎日のように運転していたが、無事故無違反であつた。

2  故意、自殺行為による免責

(一) 本件保険契約において、原告健二郎と被告は、被保険者の故意又は自殺行為によりその本人について生じた傷害については、保険金を支払わない旨合意した。

(二) 博文は、故意又は自殺行為により本件事故を起して死亡した。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実のうち、(一)は認める。(二)のうち、酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態で運転していたことは否認する。(1)は認める。

同2の事実のうち、(一)は認める。(二)は否認する。

五  予備的請求原因

1  杉田浩一(以下、杉田という)は、被告日本火災海上保険株式会社の神戸支店に勤務する社員であり、本件事故直後から、本件保険金支払に関する業務を担当していた。

2  本件事故当時本件自動車に同乗していた亡藤田彌須代の母である藤田美智子(以下、藤田という)は、昭和五七年一二月二八日、原告らに対して、被告から原告らに支払われるべき本件保険契約の自損事故条項に基づく保険金一四〇〇万円のうち七〇〇万円を慰藉料として支払うよう要求した。

3  原告らが、同月二九日、杉田に対し、藤田からの右要求を伝えて、本件保険契約に基づき支払われる保険金について確認したところ、杉田は、同五八年一月末日までに被告から原告らに対し、自損事故条項に基づき一四〇〇万円、搭乗者傷害条項に基づき一〇〇〇万円、合計二四〇〇万円を確実に支払う旨回答した。

4  原告らは、杉田の右回答を信頼し、藤田に対し、自損事故条項に基づく保険金のうち三〇〇万円を支払うことを決意し、同五八年一月一日、右保険金の支払に先だち、藤田に対し金三〇〇万円を支払つた。

5  ところが、被告は、博文が酒に酔つて自動車を運転していたために本件保険契約上の免責事由に該当するとして、原告らに対して右保険金を支払わなかつたので、原告らは、藤田に対し支払つた金三〇〇万円と同額の損害を蒙つた。

6  杉田の右回答がなければ、原告らは藤田に対して三〇〇万円を支払わなかつたから、杉田の行為と原告らの損害との間には相当因果関係がある。

7  杉田は、博文の本件事故当時の運転状況が、本件保険契約上の免責事由(酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態)に該当することを知つていた。

仮りにそうでないとしても、杉田の回答がなされた昭和五七年一二月二九日の時点では、本件事故発生後約四〇日が経過しており、また、博文の血液中のアルコール濃度の鑑定結果は同月一八日には判明していたのであり、免責事由に該当することを十分に知ることができたから、杉田が、本件事故が免責事由に該当することを知らなかつたことについて過失があつた。

8  よつて、原告両名は、杉田の使用者である被告に対し、それぞれ損害賠償金一五〇万円及びこれに対する不法行為の日以後の日である昭和五九年四月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  予備的請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

同3の事実は否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  主位的請求事件について

請求原因3の事実のうち(二)の事実は、原告健二郎本人尋問の結果及び弁論の全趣旨からこれを認めることができ、その余の請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。

二  抗弁について

1  抗弁1(酒酔い運転による免責)について

(一)  抗弁1の事実のうち、(一)(免責条項の存在)については、当事者間に争いがない。

(二)  同(二)の事実のうち、(1)については当事者間に争いがなく、これに成立に争いのない甲第二、第三、第九号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第八号証の一ないし三、証人杉田浩一の証言、及び原告塚崎健二郎本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認定できる。

(1) 博文は、昭和五七年一一月二〇日午前一時ころ本件事故を起こし即死したが、同日午前二時三五分ころ、同人の頭部から助手席上に流出していた血液を採取し、大分県警察本部において鑑定したところ、血液一ミリリツトル中に〇・八四ミリグラムのアルコールを検出したこと、

(2) 本件事故現場付近の天間寄りの道路状況は、全幅員約六・七メートルのアスフアルト舗装道路であり、曲折が多く、大分県公安委員会の告示により最高速度は時速三〇キロメートルに制限されており、夜間照明はなく暗い場所であり、また事故地点付近は、博文の進行方向から見て道路が半径四五メートル、曲線部分約四〇メートルの左カーブであり、約一〇〇分の三の下り勾配で、事故当時路面は乾燥していたこと、

(3) 本件事故現場に残されたスリツプ痕のうち一番長いのは左後輪のもので二五・三メートルであること、博文の運転していた車両は、右前側部を中心に凹損し、右前輪は取付け部分から屈曲し、フロントガラス、運転席側ガラスが割れていること、衝突地点のコンクリート擁壁、電柱に明瞭な衝突痕(擦過痕)が残つていることを総合すると、博文は制動措置をとる直前において時速七〇キロメートルを越える速度で運転していたこと、

(4) 博文は、大学の射撃部に所属しており、本件現場付近にある射撃場によく行つていたので、本件事故現場付近の道路状況を知つていたこと、

(5) 博文は、昭和五六年七月一五日普通運転免許証を取得し、同八月ころから大分県において通学その他のために被保険自動車を運転していたが、その間無事故無違反であつたこと、

(三)  そこで、博文が、酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態で被保険自動車を運転して本件事故を起こしたかについて判断する。

ところで、前記免責条項にいう「酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態」とは、単なる飲酒又は酒気帯びではなく、道路交通法一一七条の二第一号にいう「……その運転をした場合において酒に酔つた状態(アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態をいう……)にあつたもの」と同義に解すべきであり、それは、アルコールの影響により正常な運転の能力に支障を惹起する抽象的な可能性一般を指称するものではなく、その可能性は具体的に相当程度の蓋然性をもつものでなければならず、右のようなおそれがある状態であるか否かは、一般的には、運転者の当時の言動・様相等の外部的徴候と、アルコール保有量等の内部的状況の双方から推測すべきである。

ところで、成立に争いのない甲第一一号証、乙第四ないし第六号証によれば、身体に保有するアルコール濃度とそのアルコールの影響による酩酊度との関係は、一般にその者が酒に強ければ濃度にかかわらず酩酊度が低く、弱ければその逆であるという個人差はあるけれども、一応の相関関係はあつて、一般的には、アルコール濃度が血中濃度で〇・五mg/mlに満たないときはアルコールによる身体・動作への影響はほとんどなく、〇・五mg/ml以上一・五mg/ml未満のときは、歩行能力には支障がないが顔色に出、陽気・多弁となり、運動や作業の能力の減退が若干認められる状態になり、一・五mg/ml以上のときは、運動失調を来たして正常な歩行が困難になり思考力も減退する状態になり、また、〇・五mg/mlのときの反応時間は正常時(無アルコール状態)の二倍となり、一・〇mg/mlになると四倍になるのである。

これを精神作用及び運動機能の両面から車両運転能力に及ぼす影響についてみると、〇・五mg/ml未満の段階では運転能力への影響はほとんど考えられず、他方一・五mg/ml以上のときはほとんど確実に正常な運転能力を欠く状態にあるものと考えるべきであり、そして、一・五mg/ml未満の段階でも一・〇mg/ml以上に達すれば正常な運転の能力に支障をきたす可能性がかなり高いといえるけれども、〇・五mg/ml以上一・〇mg/mlの段階では、必ずしも右の可能性が高いとはいえず、平素の酒量と酩酊の度合、当時の精神的肉体的諸条件等を考慮しなければ、いずれとも判断できないと考えるのが相当である。

(四)  本件についてこれをみると、前記認定のとおり、博文の血液中のアルコール濃度は〇・八四mg/mlであるから、同人の運転にアルコールの影響が皆無であつたとはいえないものの、正常な運転の能力に支障が生じている可能性が高いとも断定しえないので、同人の平素の酒量と酩酊の程度、同人の当時の精神的肉体的状態、言動・様相、運転状況等から、アルコールの影響により同人の運転能力にある程度具体的に支障を生ずる蓋然性があつたことが推認されなければ、免責条項にいう「酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態」にあつたということはできない。

しかしながら、

(イ) 博文の平素の酒量と酩酊の程度については、原告健二郎本人尋問の結果により、博文が原告健二郎の面前ではあまり酒は飲んでいなかつたことが認定されるものの、右事実のみから直ちに、博文はあまり酒を飲まず酒に弱い体質であつたと推認することはできず、他にこの点に関する具体的な事実の立証はなく、

(ロ) 博文が当時精神的肉体的に特段の疲弊状況にあつたこと、及び同人の飲酒後の言動・様相等についての主張立証はなく、また、

(ハ) 同人の運転状況については、確かに本件事故現場付近は前記認定のとおり高速度で進行するには危険な場所であり、同人がそのことを知りつつ時速七〇キロメートルを越える高速度で進行したものではあるが、他方、同人は、本件事故現場に至るまでの曲折の多い山道を運転してきており、また、事故直前において危険を感じて制度措置をとつているのであるから、右速度の点だけをとらえて、アルコールの影響により正常な運転能力に支障をきたしていた可能性が高いともいうこともできず、また、同人が無事故無違反であつたことも、直ちに同人が平素より安全運転に徹していたことまで推認させないのであるから、

以上を総合すれば博文が「酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態」にあつたことを認めるに足りる証拠はない、といわざるをえない。

(五)  したがつて、酒酔い運転による免責の抗弁は理由がない。

2  抗弁2(故意又は自殺行為による免責)について

(一)  抗弁2の事実のうち、(一)(免責条項の存在)は当事者間に争いがない。

(二)  そこで、同(二)について判断するに、前記抗弁1で認定した事実からすれば、博文において自傷又は自殺の意図を有していたことは推認しえず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)  したがつて、故意又は自殺行為による免責の抗弁も理由がない。

三  結論

以上のとおりであるから、原告の主位的請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺田幸雄)

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